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<Tension CD評/紹介>
CDジャーナル8月号『今月の推薦盤』除川哲朗氏
リズム&ドラム・マガジン9月号『Disc Guide』岸田智氏
CDジャーナル10月号 原典子氏


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Do-Chū
CD Journal、ミュージック・マガジン 2010年 年間My Best
真保みゆき氏選


〜 佐藤英輔氏 Seneca評 〜  
CD Journal 2015年7月号

 思うまま鍵盤に指をはわせ、ときに肉声も入れる。音楽スタンスやジャンルから抜けたところで振る舞えることの素敵を伝える、独立独歩なピアニスト/シンガーの3作目だ。
 猛烈に飛翔するインプロ曲から、お茶目な冒険ポップス、ゆったりと流れるアンビエント調のものまで、自由自在。その底にあるのは、ジャズ的な天衣無縫さか。アルバムの表題はブルックリンの駅名。NY録音作で、5曲で米国人ドラマーが、1曲でコントラバス奏者が加わる。NY環境で花開く、和の魔女感覚という説明もできるかもしれない。


〜 瀧口譲司氏 Seneca評 〜  
CD Journal 2015年8月号

 NYでの鍛錬、人脈によって培われた自由な発想が光る。藤井郷子の周辺人脈からはユニークな音楽家たちが旅立っているが、航もその一人。デジタルで空間を超えた打ち合わせの末に行われた“一発録り”に、ジャズの原始的な自然発生性の持つユニークさが発露された。予測不可能の快、ここにあり。


〜 松尾史朗氏 Seneca評 〜  
ミュージック・マガジン 2015年8月号『アルバム・レヴュー ジャズ』

 歌手でピアニストの航の3作目NY録音。ベース、ドラムは現地人。ほぼ全曲自作だが英語詞もあり、表情は曲ごとに変わる。しかしどの局面でもシャキッとしたピアノのタッチは極まっており、聴くたびに各々の物語の説得力が増す。今やトレンドともいえるシステムズ2での録音だが、ミキシングで自己主張もちゃんとしている。


〜 行川和彦氏 Seneca評 〜  
ミュージック・マガジン 2015年8月号『インディ盤紹介』

 79年東京生まれの航が一昨年から拠点の一つにしているニューヨーク・シティで録ったサード・アルバム。過半数の曲でドラマーが演奏して1曲にコントラバスが入るが、1曲を除き彼女が一人で作った曲をフリー・フォームのピアノがリードして命を吹き込む。ジャズや現代音楽の律動も組み込まれているが、アヴァンギャルドな場面転換をしてサスペンス・タッチの展開も盛り込みつつ、和の情趣に包まれてポップかつ慎ましやかな佇まいのCDだ。時にコミカル、時にオチャメな表情を覗かせ、語感も重視したと思しき歌詞も含めてリズミカルでありながら、日本っぽい静謐な旋律と間合いで攻めるサウンドに持っていかれるのだ。凛として軽妙、そして優雅、しかし図太い。まさに大胆かつ繊細なピアノもヴォーカルも歌心が屹立している。英語の歌詞が載った12ページのブックレット封入りの約42分9曲入り。これまたグレイト!


〜 Jazz JAPAN Seneca評 〜  
Jazz JAPAN vol.59 JUL 2015

 アバンギャルド・テイストではあるが、矢野顕子を彷彿とさせる世界観をも表現するピアニスト〜ボーカリストKOH(航)。様々な音楽の断片が自由自在に飛び交うさまが清々しい。


〜 行川和彦氏 Tension評 〜  
ミュージック・マガジン2011年8月号『アルバム・ピックアップ』

 98年から東京のライブ・ハウスを拠点に演奏している女性音楽家の航が、多彩な活動を繰り広げる植村昌弘(ds)を誘って一昨年から行っているセッションが発展した、デュオ・バンドのデビュー作。どの曲にも歌が入るとはいえ、一般的なポップ・ミュージックの曲構造とは一線を画し、ジャズと呼ぶにはハイブリッドだからロックにも近いスケールの大きな約50分8曲入りだ。
 航が作った5曲は豪胆で、植村が書いた3曲は変態度が高く時に軽妙である。どちらの曲も様々なリズムから成り、緩急織り交ぜた流れが澱むことがなく開放的だ。航が昨年出したセカンド・ソロ作『Do-Chū』にも参加していた植村が、そのCDには表れていなかった彼女のポップな一面も引き出したように思う。航の独奏パートも多いが、両手が駆使されたピアノと繊細かつ大胆なドラムのバトル!というよりは、航をエスコートするように植村がビートを差し入れていくのだ。山や海岸を歩きながら書いたような内容の航の歌詞は言葉数少なく寡黙だか、大変雄弁。デリケイトで麗しくも男前な喉を震わせ、歌謡の味わいで“デッサン”のような音に彩りを添えた。
 モモチョッキリがデザインなどを行った12ページのブックレットに歌詞とその英訳も読みやすく載り、パッケージ全体でイメージがふくらむ丁寧な作りの好作品だ。


〜 前泊正人氏 Tension評 〜
ジャズ批評2011年9月号『国内新譜』

 本誌156号のディスク紹介でも取り上げた航のリーダーアルバム『Do-Chū』は、トランペットの田村夏樹とチェロの公文南光、ピアニスト兼ヴォーカリストの航とドラムスの植村昌弘であった。今回の“小窓ノ王”はドラムスの植村昌弘とのデュオ・ユニット。たったふたりであるが、その表現力はより研ぎ澄まされた感がある。『Do-Chū』では、母なる大自然のパワーと人間の弱さを、詩と旋律とポップセンスで表現している。と評したが、今回も些かも変わっていない。いつも感心させられる航の詩。
 2曲目「蜘蛛と花」では、フラリ、フラリ、クラリと君とダンス、ダンス、ダンス♪とか、4曲目「オコジョ」での、しのびあし で ちかづいて ねらいを さだめて エイッ!ヤァ!トォ!♪などといったテンポのよい透き通った声からは、ニホンゴの響きの美しさを教えてもらったようだ。どこの国の言葉よりも音楽的に聴こえるのである。また3曲目の「坂」に至っては、そのエキセントリックさとドラマチックな展開が見事。プラス凄みを感じる歌唱力。
 ちなみに「小窓ノ王」とは、登山好きの航が剣岳の辺りにある岩壁のピークからとったとのこと。


〜 松尾史朗氏 Tension評 〜
ミュージック・マガジン2011年9月号『ジャズ』

 ピアノで弾き語る航とドラムスの植村昌弘のユニット。航にとっては3枚目だが節回しのユニークさが極まっている。作為性が全くないから、素晴らしいタッチのピアノとあいまって潔く、アクの強さが爽快ですらある。今時こんな気風のよさこそ愛すべき。惜しむらくは植村の(頭では奇想天外を夢見ても)案外まとめたがり屋な性分が透けて見える点。器用なんだけどね。


〜 村井康司氏 Tension評 〜
ジャズジャパンVol.13より転載 ©JaZZ JAPAN/Koji Murai

 ピアノと歌の大寺航と、ドラマーの植村昌弘によるデュオ。不思議なバンド名は剣岳にある岩壁のピークの名前だというが、航による歌詞は「自然の中での私と君」を簡素な言葉で描いたものが多い。シンプルな構成にふさわしいストイックな佇まいのサウンドだが、曲によって歌い方をさまざまに変化させる航のパフォーマンスのせいか、単調な印象はまったくない。エキセントリックなのに「精神の健康」を感じさせる音楽だ。


〜 佐藤英輔氏 Do-Chū評 〜  
CDジャーナル 2010年7月号 “今月の推薦盤”

 ピアノやキーボードを弾きながら歌う女性。前作は自由ジャズ界の世界的ピアニストである藤井郷子が制作していたが、これは自己プロデュースによる。で、すごいっ。とても我が道を行く表現なんだけど、リアル・ジャズ環境の中で戯れるUAを想起させるような内容とも、ぼくは説明したくなるか。基本は植村昌弘(ドラム)とのデュオ、さらに田村夏樹(トランペット)や公文南光(チェロ)が入る曲もあるが、隙間が活きた、インタープレイも無理なくはらむ表現であるのは間違いない。スピリチュアルに漂う感じのもの、アグレッシヴに弾けるものをはじめ、流動性を持つ多様な自作曲(一部は現代プログ・ロック文脈での秀でた弾き語り表現、とも言えるか)が収められているが、宙に舞う言葉(日本語)やメロディや“気”を思うままつかんでいくような曲群は、本当にスリリングでエモーショナル。また、示唆にも富む。結果、自分の世界を持ち、しなやかに闊歩している才人がいると、感激しちゃうのだ。


〜 行川和彦氏 Do-Chū評 〜  
ミュージック・マガジン 2010年7月号 “インディ盤紹介”コーナー

 シンガー・ソングライターと呼ぶにはユニークな音楽家の航(vo,p,kbd)は、藤井郷子プロデュースのデビュー作に続く6年ぶりのセカンド「Do-Chū」(KOYA-108001)を発表。曲によって田村夏樹(tp)、植村昌弘(ds)、公文南光(チェロ)が寄り添う約60分9曲入りだ。ジャズも民謡もR&Bも現代音楽もプログレもポップに包容して無限大にふくらませた曲が、マーズ・ヴォルタをも思わせる大スケールのスリリングな展開で迫る。こそばゆく茶目っ気と洒落っ気がいっぱいで踊るような音の鍵盤楽器をパートナーに、次々と物語を編み上げてくみたいなCDなのだ。ヴォーカルは言葉数少なくとも楽器の音と相まって雄弁であり、伸びやかで土の香りのする強い喉は時に聖女の顔も見せ、女性ならではの豪胆な表現と言い切りたい。『種田山頭火全集』と曽野綾子の『誰のために愛するか』から歌詞を引用したのも興味深く、モモチョッキリの画も素敵な12ページのブックレット付き。


〜 前泊正人氏 Do-Chū評 〜  
ジャズ批評 2010年7月号 MOONKS 前泊正人氏 SELECTION

 航の音楽にはオリジナリティーがあって、声に魂が張っている。どの曲も味わい深く、じわじわとくる。田村夏樹がトランペットで参加していて思うのは、藤井や田村が関わると、いわゆる地下の密室音楽から解き放たれて、自然の“気”を感じるのだ。もちろん、自然には感動と恐怖、勇気と絶望も同居している。母なる大自然のパワーと人間の弱さを、詩と旋律とポップセンスで表現している。ついでにジャケットデザインも秀逸。見事にサウンドとシンクロしている。


〜 小島 智氏 Do-Chū評 〜  
ストレンジ・デイズ 2010年8月号 “オルタネイティブの発信源から”

 藤井郷子を経由して航という女性ピアニストを知ったのは数年前のことだった。その藤井のプロデュースの、彼女のレーベルであるLibraから発表された『山吹』というファースト・アルバムを聴いたのが最初のことだ。それにしてもこの藤井、自身のクァルテットやオーケストラで作品をまさに乱発、そのうえこうして若いアーティストもケアするという、恐ろしいバイタリティーの持ち主である。一度、本誌でもきちんと足跡をたどる記事など作ってみたいと思っているのだが、編集部の考えはいかがなものだろうか。
 それはいいとしてその航。79年に東京で生まれて国立音大を卒業、吉田文子氏やグレーテ・ディッヒラーらに師事した経験があり、十代後半から都内のライブハウスで活動を続けるという、ある意味で典型的な“マイペース型”のアーティストといっていいだろう。そんな経歴もさることながら、音楽療法の勉強を続けている点に個人的には惹かれるものを感じ、このところ気になる存在の一人になっている。ともあれ近年では珍しい、音楽をジャンルや音としてではなく、もっと相対的なものとしてとらえることのできるピアニストといったイメージだが、そんな姿勢がつぶさに表れた作品が、今回紹介したいセカンドの『Do-Chu』だ。
 参加ミュージシャンは、藤井の夫の田村夏樹(Tp)に植村昌弘(Ds)、そして公文南光(チェロ)。田村はこのページでも何度か紹介しているので省くが、植村は、ベースの早川岳晴や大友良英のユニットなどにも参加、東欧でも支持を集めたことのあるドラマーであり、公文は、知らなかったのだがセグメンツ・ストリング・クァルテットなる即興ユニットを持っているらしい。こうした自身のテリトリーと自由な活動のやり方をわきまえたアーティストに囲まれて作られた作品で、彼女の、ぶっきらぼうだがどことなく暖かみを感じさせるヴォーカルと、ひたすら滑らかに広がっていくピアノをキーボードに、緩やかながらも緊張感を随所にさりげなく表した、ノンジャンルの音世界が展開されている。自身のオリジナルのほかに自由律俳句の種田山頭火や曽野綾子らをモチーフにしたナンバーもあり、言葉の世界に特徴的な浮遊感がもたらされたものなのだが、その言葉と音、加えて“間”といえばいいか、無音の部分までが巧みに化学変化を起こしてまったく独自の形状を築き上げた感じだ。「稜線」「つきみちる」「道標」といった収録曲のタイトルからは、日本的なものを意識した跡もうかがえる。が、絶妙なコンビネーションで奔放に展開する演奏から得られるタッチは徹底して無国籍である点もいい。自身の音楽の行き先を無意識に熟知するもののアルバムといった趣で、個人的にはここでも以前に数組紹介した、北欧の、エレクトロ二クスを使ったミュージシャンの演奏に近い肌触りを感じている。
 自ら「百葉千葉」なるコンセプチュアルなイヴェントを小さなクラブで続けているらしい。隠れたシーンにも見逃せない人は何人もいる。


〜 松尾史朗氏 Do-Chū評 〜  
ミュージック・マガジン 2010年7月号 “ジャズ”コーナー

 航はキーボードで弾き語る自作自演の女性歌手で、これが2作目。ソロとドラムスの植村昌弘とのデュオを基本にトランペットの田村夏樹やチェロが数曲で加わる。インパクトのある声だし、作曲もユニーク。そしてピアノも達者だ。ポンプオルガンを模したようなシンセの音が印象的な曲はドリーミーでプログレっぽいが、オタクな感じは全然しない。天然に真っ直ぐな人柄なのだろう。ややせせこましい植村とマッチしている曲もあるけど、もっとゆったりと振幅感を出せるドラマーとやったらどうかな。普段着の田村が味を出す長尺曲に華がある。

〜 北里義之氏 Do-Chū評 〜
 
 藤井郷子がプロデュースした前作『山吹』(2005年)から5年、シンガー・ソングライター“航”(こう)のセカンド・アルバム『Do-Chū』が、彼女自身のレーベル Koya からリリースされる。歌詞を越えて自由に動きだす(即興ヴォイスという意味ではない)声につき従っていくことで切り開かれた、オリジナルな世界が刻みこまれた一枚。本盤に収録された楽曲は、歌に与えられたいくつかの声によって、大きく三つに分けることができるだろう。
 ひとつは、キリのように硬く先の尖った声の文体を作って歌われる歌謡群で、航が敬愛する藤井郷子の音楽性に通じている。変拍子やパーカッシヴなピアノの打鍵、さらに歌詞のサウンド化といった歌唱法の採用は、いずれも航の声のパッショネートな部分を倍加するものとなっている。ベーシストを置かず、植村昌弘とのデュオで強烈なグルーヴ感を出してみせた「窓」(この曲のみならず、アグレッシヴな航のピアノは藤井を連想させて聴きもの)、「分け入っても 分け入っても 青い山」という一句で有名な種田山頭火の俳句にメロディーをつけた「山頭火」、田村夏樹のトランペットとバトルを展開した「GARE」、シンセ・オルガンで弾奏される5拍子の言葉遊び歌「6variation?」、ふたたび植村とのデュオで演奏される疾走感にあふれた「つきみちる」など5曲。なかでも、すべての所有物を捨てた場所から見えてくる、憑きものの落ちた世界をうたった山頭火の俳句が、まったく貧乏くさくなく、こんなに激しく、モダンに表現できるというのは予想外だった。
 一方、シンセ・オルガンの響きが声を包みこんで、まるで聴き手の周囲の空気までもがどんどん澄んでいくような、天上的な世界を垣間見させてくれる一群の曲がある。これらの楽曲において、声はひとりごとのようにつぶやかれ、一転して自分の心の内側を照らし出すカンテラとなる。単語の羅列が歌詞になっていく「稜線」では、田村夏樹がトランペットを声化してこの聖域に挑戦しているし、広々とした空間を広げてみせるピアノのバラード弾奏が魅力的な「朝の匂い」では、チェロの美しいメロディーがゆったりとした時間に寄り添っている。そしてどうやら天女の羽衣のことを歌ったらしい幻想的な曲「diaphanous veil」(「透明なヴェール」の意味)では、声はただシンセ・オルガンの桃源郷のなかに漂って、まるでそれそのものが透明なヴェールでできているかのよう。はかなく、美しく響いている。
 これらは通常スリリングな曲とバラードというような楽曲の特徴から対比されるものだが、航においては、別々の世界を示すふたつの声が聴き手に垣間見させるふたつのヴィジョンというべきものになっている。そこにもうひとつの声が加わる。
 アルバムの最後に収録された楽曲「道標」は、曽野綾子のエッセイ集『誰のために愛するか』(1970年)のテクストに作曲をほどこしたもの。坦々としたピアノ弾き語りで、静かなクライマックスを迎える印象的な演奏となっている。楽曲では「全てのものに時があり」ということを、愛別離苦において歌っていくのだが、ここで示された世離れた宿命観/諦観は、おそらく後者の声の系譜の延長線上に出現したのではないかと想像される。曽野綾子のテクストが求められたのは、それがやはり航自身の言葉ではジャンプしきれない場所にある想念だからだろう。届かない場所にある言葉に声が届く。しかし、それにしても、声だけがどうしてそこに行くことができるのだろうか? 当たり前のようでいて、とても不思議な出来事のように思う。
 【関連記事/航】
・「コウは航海の航」(2005-10-23)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=47885968&owner_id=1141377
・ 航『Do-Chū』(Koya, KOYA108001)
 曲目:1. 窓,2. 稜線,3. 山頭火,4. 朝の匂い,5. GARE,
     6. 6variation?,7. diaphanous veil,8. つきみちる,9. 道標
 演奏:航(vo, p, keyb)
    田村夏樹(tp),植村昌弘(ds),公文南光(cello)
 録音:2009年4月13日,5月16日(「朝の匂い」のみ)
 場所:東京「スタジオ Dede」「GOKサウンド」
 解説:沼田順
 発売:2010年6月1日


〜 悠 雅彦氏 Do-Chū評 〜  
引用元:Jazz Tokyo

 「窓」に始まり、「稜線」、「山頭火」、「Gare」、曾野綾子の著作に暗示を得た「道標」で終わる全9曲が彼女のペンになる。誰の耳にもジャズ・ヴォーカルの作品とは思うまいし、ジャズ系の共演者とかジャズならではのリズミックな展開を認めた上でも、これをジャズと聴く必然性はない。ただし、彼女のピアノは随所でジャズらしいアタックや舞やみずみずしさを発揮する。だが、Do-Chū(道中?、宙を闊歩する?)は何の暗喩か?聴くうちに謎が謎を呼ぶ。つぶやきとも呪文とも聴こえる彼女のヴォーカルは新手の祈祷師みたいだ。そこが面白い。航自身が言う“まぜこぜチャンプルー音楽”と思って聴くとなお面白い。

 人を食った詩、前後脈絡のない言葉が並ぶ。あたかも言葉と格闘する現代詩の若き詩人たちを想起させる。詩を追っていくと、言葉のボクシング、あるいは言葉の混ぜご飯が、イメージ的に脳裏を去来する。6曲目の「6Variation」の歌詞に相当する“???△○*□♪???”なんて、何を言っているのか皆目分からない。共演者に田村夏樹、スペシャル・サンクスに藤井郷子の名がある。なるほど。謎が解けたような気はしたものの、恐ろしく自由で奔放、謎とナンセンスに満ち溢れた、音と言葉の遊びと冒険。
 これは、航(こう)という名の女性弾き語り奏者の第1作らしい。“らしい”としたのは私には何もかも初めてで、彼女についての知識は全く持ち合わせていないからだ。共演者はドラムの植村昌弘で、曲によってチェロの公文南光と田村が参加する。


〜 松山晋也氏 Do-Chū評 〜
CDジャーナル 2010年6月号
松山晋也のインディーズ・ファイル“よろしく哀愁!”

 数年前に藤井郷子のプロデュースで『山吹』なるアルバムを出していた、航と名乗る女性SSW/ピアニストの新作『Do-Chū』。ふちがみとふなとの渕上純子にもちょっと似たその歌声から思い浮かぶ人物像は、猫のように気まぐれで奔放でユーモラス、だけどちと気が強くてかなり頑固者、そしていつも彼方の雲を見上げている夢見る旅人、てとこか。『山吹』はピアノの藤井と米人アコーディオン奏者だけがサポートしていたが、今作は田村夏樹(tp)、植村昌弘(dr)、公文南光(vc)とのコンボ仕立て。手の込んだアレンジと軽妙なアンサンブルも、航の凛としてドリーミーな歌を上手く引き立てている。ジャズをベースとしたアヴァン・ポップ。

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